【蕎麦めぐり3】始まりはそば餅だった。年越しそばの歴史

蕎麦めぐり人なら「年越しそば」にこだわろう!

このページを読んでいるということはもうあなたは「蕎麦めぐり人」のはず。
何それという人は、以前の投稿から読み直してください(嘘です。読み返す必要はありません)

>>以前の記事:【蕎麦めぐり1】まずは近所にある蕎麦屋に行ってみよう!

蕎麦めぐりを嗜むあなたはきっと「年越しそば」にもこだわりがあることでしょう。
なぜなら年越しそばはその1年の最後に食べる1杯になるからです。
その年に食べた一番美味しかったお蕎麦を手配するか、最後はいつも食べる近所のお店の蕎麦か、あるいは「どん兵衛」ないし「緑のたぬき」にするのか。

今回は年越しそばのお話です。

今の形の「年越しそば」は江戸時代から。

そもそも蕎麦を蕎麦切りとして食べ始めたのは江戸時代からなので、当然「年越しそば」も江戸時代からと言えます。ただし、年越しに「そば餅」や「そば団子」を食べる風習はすでにあったようで、その起源は鎌倉時代、福岡博多の承天寺で年越しに振るまわれた「世直しそば」と言われています。もちろん諸説あります。
おそらく、江戸時代に全国的に蕎麦切りが流行した頃、蕎麦屋が「蕎麦で年越し」という宣伝文句で年末大晦日まで商売をしたのが定着したのではないかと想像できます。

以下、妄想です。

年越しそば誕生の流れ その壱(妄想)

江戸中期のある年の大晦日。町の人々は正月の準備に追われ、賑やかな雰囲気が広がっていた。年末の市場は活気に満ち、佃煮屋や八百屋はお節料理の準備に忙しく、連日大勢の客で賑わっていた。しかし、その賑わいの中で一軒だけ静かな店があった。蕎麦屋である。

「お前さん、蕎麦なんか打たずにお節の食材でも売りなさいよ」と、妻は焦りを隠せない様子で言った。

「何言ってんだ、俺は蕎麦屋なんだよ」と、主人は頑固に答えた。

「明日は大晦日なんだから、客なんて来ないわよ」と妻は心配そうに続けた。

「そうだ。忙しい大晦日なので家ですぐに食べられる蕎麦を売ろう」と主人は急に思いついた。

「蕎麦は細く長いから、家族で長寿を願って新しい年を迎えましょうって、いけるんじゃない?」と、妻も提案に乗り気になった。

「家族みんなで年越しそば。これは売れる!急いで準備だ」と主人は目を輝かせた。

完。

・・・というような話があったかなかったかは知りませんが、たぶんこんな感じで「年越しそば」が始まったと想像します。

「年越しそば」は「晦日そば」由来の可能性も!?

なお、江戸時代には月末に蕎麦を食べるのが縁起がよいとされる「晦日そば」という風習もあったようです。この晦日そばの始まりがそば餅やそば団子だったのか、最初から蕎麦切りのスタイルだったのかは諸説ありますが、晦日そばから「大晦日そば」になり、年越しそばになった可能性も考えられます。

以下、再び妄想です。

年越しそば誕生の流れ その弍(妄想)

江戸の中期、ある年の夏。土用の丑の日と呼ばれたその日、街の鰻屋は人で溢れ返っていた。しかし、その繁盛ぶりとは対照的に、一軒の店が静まり返っていた。それは蕎麦屋だ。

「お前さん、蕎麦なんか打たずに鰻売りなさいよ」と、妻がため息交じりにつぶやいた。

「何を言ってるんだ、俺は蕎麦屋なんだよ」と、主人は頑なに反論した。

「あんたも土用の丑の日みたいに蕎麦の日を作りなさいよ」と、妻が苦笑いしながら言った。

主人はしばし考え込んだ。そして、ふと思いついた。「蕎麦を縁起物として、毎月晦日は蕎麦を食べるってか。あれ?いいんでない?」

「毎月晦日に蕎麦が売れれば、いつも閑古鳥の大晦日も繁盛するわね」と、妻も興奮した様子で叫んだ。

「おうよ。蕎麦は晦日だ。晦日そばって名前にしようぜ」と、主人は笑みを浮かべた。

こうして、晦日そば、大晦日そばが始まり、後に「年越しそば」と呼ばれるようになったのであった。

完。

・・・というような話があったかなかったかは知りませんが、こんな流れだったのかもしれません。

実際は、鎌倉時代に誕生したとされる大晦日の「世直しそば」の起源が、毎月月末に蕎麦団子を振るまっていた「晦日そば」の大晦日版だったという可能性もあります。そうなると、「団子もいいけど、蕎麦切りでも晦日そばをやろうぜ」と考えた流れもありそうです。
(これの流れの妄想は割愛します)

そもそも平安時代にはすでに年越しの概念はあったようです。

「年越しそば」のルーツとして鎌倉時代に「世直しそば」が振るまわれたとされていますが、気になるのはそれより前はどうしていたのかということです。調べてみると、平安時代にはすでに年越しの概念はあったようです。

そもそも大晦日とは1年の最後の晦日という意味で、晦日は月の末日(旧暦では三十日なので「みそか」)の意味です。平安時代にも現在のように「大晦日は寝ずに起きておく」という風習があり、当時も大晦日には身も心も綺麗にして年を迎えることがよいとされ、家の掃除やお正月の準備をして過ごしていたとされています。

ちなみに初詣に関しても、平安時代に家長たちが祈願のために地元の氏神神社に集まって年を迎える「年籠り」という風習から始まったとされており、家長たちはそこで何かしら年越しの食べ物を食べていたかもしれません。それが団子なのか、餅なのか、うどんなのか。その辺が年越しそばの始まりの可能性もありそうです。(餅は鏡餅で正月以降に食べると考えると、案外、そば餅やそば団子を食べていた可能性もありそうです!)

いずれにしても、平安時代の年越しに何を食べていたのかはまだ調べ切れていないので、何か資料を見つけ次第更新します。

以上となります。今年の年越しそばにどこの蕎麦を食べるか、その辺をひとつの宿題として蕎麦めぐりを楽しんでくださいませ!